「セネル…!目を覚ませ、セネル…!」
体が揺れる。
…誰かが、俺に声を掛けている。
「っ…」
いつの間に眠っていたのだろう。
目を開け、何度か瞬きをし意識を現実に引き戻す。
目の前には俺の体を揺さぶり、必死に声を上げているウィルの姿があった。
「…ウィル…」
「気付いたか…」
「ああ……ってウィル、怪我は…!?」
「安心しろ。後衛の皆は多少の傷で済んでいる」
「だからこうしてお前達を回復して回ってるんだ」、と
ウィルは俺の体をゆっくりと起こし、背中に残る傷へとブレスをかけた。
ゆっくりと瞳を動かせば、せかせかと動き回るノーマの姿が目に入った。
同じく、忙しなく皆に声を掛けるシャーリィも。
「やられたふりをしてたのか…?」
「そんな卑怯な事をするか…気を失ったのは確かだ」
無粋な質問をしたと気付き、「悪い」と謝る。
あんな強力なブレスをガードする間もなく受けてしまったんだ。
むしろ気を失うだけで済んだのが奇跡だろう。
「…それより、あれを見ろ」
「…あれ…?」
ウィルはくっと顔を動かし、顎である一点を指し示す。
俺は痛みの残る体を捻り、ゆっくりと視界を動かした。
「…何だよ、あれ」
何があるかは見れば分かる。
だけど理解しろと言われても出来る訳がない。
ウィルは俺の問いに一つ頷くだけで、返事らしい返事はしない。
きっと、ウィルも気を失っていて事の状況を理解するまでには至っていないんだ。
だけど、どうして急に。
「…全員、目が覚めたようですね…」
頭上から降る声にハッと顔を上げれば
そこにはいつもと変わらぬ様子で言葉を紡ぐグリューネさんがいた。
俺と目が合うとグリューネさんはばつが悪そうに視線を逸らす。
きっと俺がグリューネさんを庇い怪我をした事を気にしているのだろう。
大丈夫、と言って笑いたい所だが状況が状況だ。
グリューネさんに気を遣える程の余裕はない。
深手を負ったモーゼスやジェイも歩けるまでに回復し
ふらつきながらも俺達はいつものように輪を作る。
全員が集まった所で俺は真っ直ぐにグリューネさんを見つめ、ゆっくりと口を開いた。
「…教えてくれ、グリューネさん」
一体俺達が気を失っている間に何があったのか。
どうしてあんな状況になっているのか。
偽者の少女の短剣が、何故不自然な場所に刺さっているのか。
そしてその少女は何処へ消えたのか。
一体、何がきっかけで。
「シュヴァルツはを庇ったんだ…」
「…怪我は…?」
耳元から聞こえた声に、ハッと息を呑む。
ズキリ、と喉に激痛が走り上手く言葉を発する事は出来なかった。
ならばせめて、と首をゆっくり横に振れば、相手からは安堵の息が漏れる。
耳元に掛かる暖かい吐息が何だかくすぐったくて目を細めた。
「……良かった…」
グリューネさん…?
ううん、違う…。
グリューネさんだったらもっと直で肌の感触が伝わってくるし
こんなに近いのであれば薄いヴェールが頬に掛かるはずだ。
…じゃあ…。
「シュヴァルツ…?」
辛うじて紡いだ名前を聞き、私を包む女性はフッと笑った。
何で、シュヴァルツが。
…私、刺されたはずなのに。
確かに痛みはなかった。
だけど刺された時の衝撃は覚えているし、自分の体から流れた血の温かさも覚えてる。
自分の体から…流れた血…?
「…ちがう…」
これ、私の血じゃない…。
服を真っ赤に染めているのは私だけじゃない。
血溜まりの中にいるのは私だけじゃない。
「…まさか、アンタ…」
私を、庇って…?
ドクドクと五月蠅いくらい心臓が鳴ってる。
現実が上手く受け入れられなくて、指先が冷える。
混乱する私とは別に、シュヴァルツは再び笑った。
その笑みが意図する所も分からず、私は首を左右へ振った。
「…我は、何処で道を踏み外したのだろう……」
はあ、と苦しそうに息を吐き出しながら女は言う。
フワリと吹いた優しい風がシュヴァルツの長い髪を揺らした。
「一本しかない道を、踏み外す等有り得ないと思っていた…」
「いや…元々我には、道など用意されていなかったのだ……」
そっと、シュヴァルツが私の頬に触れる。
血塗れの蒼白い手が、私の頬を赤く染めた。
「ああ…思い出した…」
「っ…」
「我はこうして、お前が泣く度に頬に触り、涙を拭ってやっていたな…」
「お母さんッ…おかあさん…!」
「…涙を流すな、―――…」
「っふ…ひ、っく…!」
「大丈夫だ…お前が泣く必要はもうない…母がお前を守るから…」
私のものじゃない記憶が次々と頭の中に流れてくる。
上手く言葉を紡ぐ事が出来ない。
代わりに大粒の涙がボロボロと溢れた。
「泣く必要はない…もう、お前をいじめる者は誰もいないのだ…」
記憶の中と同じ言葉を紡ぎ、シュヴァルツは私の涙を拭った。
シュヴァルツの手に涙が伝う。
瞬間、うっすらと残っていた黒い霧は全て晴れ、私達の頭上に青空が広がる。
だけど決して枯れた花が元に戻る事はない。
あの惨劇がなくなる事はない。
もう、何もかもが遅いんだ。
「ッ…すまなかった…」
ポタポタと、落ちる雫の数は増え。
「結局私は、最期までお前を幸せには出来なかった…!」
女の口から、嗚咽が溢れ出る。
「誰よりもお前の幸せを願っていたはずなのにッ…!!」
嬉しくて、悲しくて。
幸せなのに、寂しくて。
胸の中がぐちゃぐちゃで、ただただ涙が止まらない。
だけど一つだけ、変わらない感情がある。
「っ違う…」
声を出す事があんなにも苦しかったのに
シュヴァルツの事を想うと、言葉がすんなりと喉を通る。
あんなに霞んでいた景色も、彼女の顔がハッキリと見える程クリアになった。
「幸せだった…」
きっとこれは、私と破壊の少女二人の声だ。
動かなかったはずの腕がスッと前へ伸び、その仮面をゆっくりと外す。
外し方なんて、分からなかったはずなのに。
仮面の下の瞳はグリューネさんと同じ、とても綺麗な金色だった。
濁り一つない涙でぐしゃぐしゃに顔を濡らす彼女を見て
私も涙が止まらなくなった。
「ッ手を差し伸べてくれたのがアンタだったから、私は幸せになれたんだよ…!!」
例え二人の出会いが間違いだったとしても。
利用しようと考えた結果でも。
利益を求めた結果でも。
きっと、アンタじゃなきゃ駄目だったんだ。
「ッ…あぁ…なんと嬉しい事を言う…」
震える唇は弧を作る。
泣きながら笑う彼女はお世辞にも綺麗とは言えなかったけど
私が見たいと願っていた笑顔に良く似ていた。
頬を触る手がゆっくりと私の体を引き寄せる。
温かなぬくもりに私は更に涙を零し、ぎゅう、と強く抱き締め返した。
「我…私も、お前で良かった……」
「お前が、私の子で…とても、幸せだった…」
力の入らなかった手が彼女のぬくもりを求め動く。
離れたくない、と痛いくらいに彼女の体を締めつけた。
そして私は、ただ一つの単語を何度も何度も繰り返す。
ありがとう、ありがとう、って。
「私はいつまでもお前の母だ…」
「ッ…」
「もう会う事はない…母は忌わしき存在だ…」
「、シュヴァルツ…!」
「ここに長くいる事は、許されぬ…」
嫌だ、と首を横に振った。
シュヴァルツはただ柔らかく笑っていた。
何処からともなく湧き上がる光の粒に包まれ
シュヴァルツの体は徐々に消えていく。
ハッと気付いた時にはシュヴァルツの背中に回しているはずの自分の手が見えて
この幸せな時の終わりが目前に迫っている事に気付いた。
「だが、これだけは忘れないでくれ」
そう言って彼女は目を細め、最後の涙を落とす。
その涙は例えようがない程美しく、儚く、そして切なかった。
「再び会えなくとも、子が何処にいようとも、母はお前を想っている」
「涙を流す日があるのなら、また母が拭ってやろう」
「幸せを感じた日があれば、母も共に喜ぼう」
「…愛する者を見つけた時は、母が一番に祝福してやろう…」
ジリ、ジリ、とノイズが掛かる。
視界が霞む。
シュヴァルツを抱き締める自らの手から力が抜ける。
私は何度も何度も頷いた。
音の出てこない喉を絞って、何度もシュヴァルツの名を呼んだ。
「…さようなら、私の可愛い、可愛い娘…」
ブワリと強い風が吹く。
辺りに散った花びらが空へと舞い上がり、突然の事に目を瞑る。
風と同時に彼女は消えた。
あんなに私を強く抱き締めてくれていた腕が、一瞬にして消えてしまった。
それでも、未だ残るシュヴァルツのぬくもりは
間違いなく、彼女がここに存在していた事を教えてくれた。
「ッお母さ、ん…!」
いかないで、消えないで。
バイバイ、さようなら。
このぬくもりだけは、どんな事があっても一生忘れない。
離れていても、絆は確かにここにある。
決して消える事のない、家族の絆が。
「…、…」
彼女がいた場所に、黒い羽根が一つ落ちていた。
その羽根は光に照らされキラキラと輝き、透き通り
こんなにも美しい黒は見た事ない、と思う程綺麗だった。
風が吹けば飛んでしまいそうなそれを、壊さないよう両手で包む。
そのままゆっくり胸へと当てれば
温かな感情が体に流れ込み、止まっていたはずの涙が一粒落ちた。
「ッシュヴァルツ…!!」
もう、離さない。
何があっても、忘れない。
私の、大切な、大切な宝物―――…。
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修正:14/01/19