「…来なさい、シャドウ」





グリューネさんの呼びかけに応え、何処からともなく黒い光が現れた。

その色は横たわる少女の髪や瞳と良く似ている。
禍々しい黒い霧とは違う、全く別のものだと言う事がすぐに分かった。





「…グリューネさん、それは…」





すぐ隣からウィルの声が聞こえる。
恐らく、俺と同じものが見えているのだろう。

グリューネさんは今にも消えてしまいそうな淡い光をゆっくりと包み込み、目を閉じた。





「何を、するんだ…?」





黙って見ている事に耐え兼ね、俺はとうとう言葉を発した。
グリューネさんは目を開けると、その口でゆっくりと言葉を紡ぐ。

嫌な予感、と言うのは案外すぐに分かるものだ。
整った唇から出てくる次の言葉も分からないのに、耳を塞ぎたい気分になった。





「…彼女を、元の世界に戻します」





グリューネさんの言葉は刃となり、体の隅々を刺激する。
ツン、と突き刺さった言葉は脳の奥底を冷やし、上手く言葉が出てこなかった。

…今、なんて。





「この世界に命がある、だからこそ死を迎える…それは自然の摂理です」

「ならばこの世界から“命”と言うものを出してやれば良いのです」

「この世界にいる彼女を一度無へと還し、元の世界へと送り届ける」

「それが、唯一彼女を救う方法です」





…そうだ。
俺は忘れていたんだ。

グリューネさんの言葉を聞いて彼女との出会いを思い出す。
グリューネさんの言葉を聞いて彼女との会話を思い出す。

がこの世界の者じゃない”と言う、今や信じ難い事実を。





「嘘でしょ…」
「そげな事が、ホンマに出来るんか…」
「出来るのです。シャドウの…精霊の力があれば」





呆然とする仲間に対し、グリューネさんは断言した。

頭がいっぱいだ。
まるで世界が遠くにあるよう霞み始める。

の世界。
いつか名前は聞いたが覚えていない。
どんな所かなんて、あの頃は全くと言って良い程興味がなかった。

…ずっと、一緒にいれると思ってた。

の帰る場所は、俺達がいる場所なんだって
勝手に決め付けていたんだ。





「…意見を変える者はいませんね?」





氷よりも冷たいグリューネさんの視線は
俺達に首を振る事を許さなかった。

グリューネさんの行動は正しい。
ここで俺達が首を振れば、それは俺達がを殺す事と同意なのだから。





「……」





長い沈黙を肯定だと受け止めたのか。
グリューネさんはゆっくりと瞳を動かし、横たわるを再び見つめる。

視線に気付いたのか、光のないの目がグリューネさんを捉えた。

その瞳はもう機能していないはずなのに、は人の気配を察し
硬直し始めた筋肉を必死に動かし笑っている。





「っ…」





見ていられない、と言わんばかりにグリューネさんは目を反らし
黒い光を包む自らの手を、の胸の上でゆっくりと開いた。

はそんなグリューネさんの行動に抗う事もない。
ただ浅く呼吸を繰り返すだけで、喋ろうともしなかった。





「…あの時、記憶がなくてもわたくしには精霊を見つける力があった」

「シャドウだけをこのような形で残していたのは、この時を予測していたからなのでしょうね…」





グリューネさんの独り言なのか。
それともへ向けられたものなのか。

彼女の意図は分からない。
だけど口を挟んではいけない事だけは理解出来た。





「花咲く前の精霊はまだこの世界に慣れていない」

「この世界に浸透していない精霊ならば、時の狭間へとそなたを案内する事が出来る」

「…何も心配はいらない…後はシャドウに身を任せなさい…」





グリューネさんの言葉を聞いて、は少しだけ首を傾げる。
どうやら俺達と一緒でグリューネさんが何を言っているのか理解出来ていないようだった。





「…グリューネ…さん…」





がグリューネさんの名を弱々しく呼ぶ。
グリューネさんの手がピクリと、微かな反応を見せた。





「…今まで、ありが…と…」





はあ、と息を吐き力無く笑うの瞳から、透明な雫が溢れ出す。
重力に逆らう事なく涙は落ちて、その黒い髪を濡らした。

蒼白い頬に残る涙の跡を辿り、更に更にと、涙がハラハラと落ちていく。

何故は泣いているのだろう。
つい先程まで俺達に笑えと言い、幸せそうだったがどうして急に。





「グリューネさんがいたから…いっぱい頑張って来れたんだよ…」

「一緒にいてくれて、ありがとう…迷惑掛けて、ごめんね……」

「大好き、だよ…グリューネさん……」





に翳されたグリューネさんの手が、カタカタと揺れている。

グリューネさんの動揺している姿を目の当たりにし
俺には「どう言う事か」等と無粋な質問をする事は出来なかった。





「大好き…だ、から…忘れない、から…」





はずっと「大好き」と繰り返す。
音として出なくても、途切れ途切れでも、繰り返しずっと。





「…ありがとう…」





とても優しい音色だった。

整った唇がゆっくりと弧を描き、
グリューネさんは子供をあやすよう、穏やかな声で言葉を紡ぐ。





「…ちゃんは、知ってるのよね…」
「う…ん」
「…がとう…」





「ありがとう、ちゃん…」





グリューネさんは片手での手をぎゅっと握る。
は嬉しそうにへらりと笑う。

それでもの涙が止まる事はない。
堪え切れず溢れる嗚咽は、一体何を伝えようとしているのだろう。

それを知る事になるのは、俺達にとってまだ少し先の事。





「お姉さん、とっても嬉しいわ…」

「とっても…とっても……」





二人の時間を邪魔する事は出来なかった。

二人の神聖な空気に俺達が入る事は許されていない…そんな気がした。
だからこそ、拳を強く握り締め、その光景を見つめていた。

早く終われ、とは微塵も思っていない。
むしろずっと続けば良いのに、そう思える程彼女達の間を流れる空気は独特なのだ。

だが、そんな二人の時間ももう終わる。





「…さようなら、わたくしの大好きなちゃん…」





その言葉を最後に、グリューネさんは翳していた手をゆっくりと返した。

黒い光は重力に逆らう事なくの胸へ落ち
ゆっくりとその体へ溶け込んでいく。

あの光が完全にの体内に入った時、それが最期なのだと嫌でも脳が理解した。





「…さよ…ならっ…」





は涙を流しながら別れの言葉を口にする。
俺達には言わなかった言葉を、何故かグリューネさんだけに。

最後の力を振り絞り、はグリューネさんの手をぎゅうっと握り返した。
震える唇で、今出来る精一杯の笑顔をつくりながら。

の体は光に反射する海のようにキラキラと輝き出し、光に包まれる。
そして足から順に、まるで空気に溶けるよう透けていき―――…

…―――ゆっくりと“消滅”していった。





「ッ…」





その姿に手を伸ばしては駄目だと分かっていた。
だが、一度は受け入れた現実を頭が勝手に拒絶した。

手を伸ばし、消えかけた少女の名前を呼ぶ。
嫌だと嫌だと、駄々をこねる子供のように同じ言葉を胸の内で繰り返した。





!」
!!」





名前を呼び、手を伸ばす。
だけど次の言葉が出てこない。





「いや…いやだよ……」





俺にしか聞こえないくらいの、小さなシャーリィの声。

本人にその言葉を伝える事が出来たら、俺達は楽になるのだろうか。
もし真実を少女に伝えたら、未来はほんの少しでも変わっていたのだろうか。

…きっと、はここに残ると言うだろう。
「皆が泣いているのに、自分だけ戻れない」、と。

そうはしたくない。
そうはさせたくない。

皆、その気持ちだけは一緒だ。
シャーリィも、ウィルもクロエもノーマも
モーゼスやジェイ、ワルター…グリューネさんだって。

が幸せになる事だけを願っているんだから。










は涙の溜まった目をゆっくりと細めて
気恥ずかしそうにクスクス笑う。

いつもの光景だ。

俺達が名前を呼べば、それだけで嬉しそうに笑い返事をする。
そこに意味があっても、なくても。

そしては、そんな何気ない言葉を最後に―――…





…―――俺達の前からいってしまった。





「……!」





覚悟していたつもりだった。
でも、分かっていても胸が軋んだ。





「っ!」





消えた少女がいた場所へ駆け寄り、ノーマがガクリと腰を落とす。
が横たわっていた場所をそっとなぞり、ノーマは体を震わせ泣いた。

の香りも、ぬくもりも、涙から溢れた涙さえ
綺麗に跡形も残らず消えている。

まるでこの世界に、初めからいなかったように。

これが、本当。
がいないこの世界が、本当。





「…っ違う…!」

「あいつは…は間違いなく、“本当”だった…!」





怒る顔も、泣き顔も、悪戯に笑う顔も
俺を励ましてくれた言葉も、温かいぬくもりも。

俺達の心の中には、まだがいるんだ。


この先どんな辛い事や楽しい事があっても
と過ごした日々は一生忘れないだろう。


馬鹿で鈍くて、いつも無茶をして、怪我ばかりして。
一生懸命に俺達の事を考え、必死に笑い続けてくれた。

俺は、絶対に忘れない。
忘れちゃいけない。
忘れる訳がない。










と言う、この世界を救った、たった一人の少女の存在を。










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修正:14/01/19