伸ばした手が虚しく空を掴み、辺りは静寂に包まれる。

体の痛みは治まらない。
でもセネルの辛そうな横顔を見ている方が胸が痛んだ。





「大丈夫か?」





スッと、差し出された綺麗な手。
顔を上げれば優しく笑う一人の女の子が目の前にいる。





「クロエ…」
、だな?話には聞いていた」





ぽかんと口を開ける私に対してクロエはフフ、と声を出して笑う。





「クーリッジやレイナードとは今日会ったばかりなのに
 『無茶をするお嬢さん』と有名だそうだな」





そう言って優しく私の体を起こしてくれるクロエに
「へ?」と気の抜けた返事をしながら視線を動かす。

ウィルは私の視線に気付くと肩を竦め「本当の事だろう?」と言ってのけた。
ああ、私ってもう既にそんなレッテルを貼られているのか…。





「そう言うクロエも、無茶をするお嬢さん、でしょ?」
「え…い、いや私は別に」
「でも、助けに来てくれてありがと!」





握られた手をキュ、と握り返せばクロエは一瞬驚き、また笑う。





「…どういたしまして」





一通りの会話が済んだ後、クロエはキッと窓の外を睨みながら低い声で会話を続けた。





「それはそうと、やけに外が騒がしい…」
「ああ…俺も感じる」





クロエの言葉にウィルが頷く。
二人の様子にセネルも俯けていた顔を上げた。





「こっちだ!」





背後から聞こえた声に体が大袈裟に跳ねる。
慌てて振り向けばそこには息を切らすチャバの姿があった。





「一体何が起きているんだ」
「敵襲だ!もうアジトの入り口まで来ている!」





幾重にも重なる人の声、鼻を掠める鉄の匂い。
何故そんな匂いがするのかなんて、想像もしたくなかった。





「アイツ等…!」





割れた窓から下を見下ろす三人の内、一番に声を上げたのはセネルだった。

見開かれた瞳は大きく揺れて
動揺を隠し切れず、その足は一歩後ずさる。





「セネル、心当たりがあるのか?」
「…」
「あのような軍隊は、遺跡船にいないはずだが…」
「い、いや」




ウィルの言葉に、セネルはゆっくりと首を振った。

ふむ、と顎に手を当て考え込むウィルに対し
チャバは「そんな事は良いから!」と声を荒げる。





「あの空飛ぶ男は、『水晶の森』へ向かったはずだ!」
「『水晶の森』だと…?」
「アイツを追っているんだろ?早く!」





ちゃんも!こっち!」





グッと掴まれた腕に体が大きく傾いた。
だけどここで転んでしまってはいけない、と踏ん張り慌てて足を動かす。

不思議と、鉄の匂いは一階に行くにつれ強くなっていった。

…気持ちが悪い。










「そこに裏口がある。出てまっすぐ行けば、水晶の森だ」





突然チャバは足を止めた。
ブレーキが効かず、体がよろけ日の光に眩暈がした。

息が上がって辛い。
だけど逃げなきゃいけないのは分かってる。

敵の声がもうすぐ近くに聞こえる。
聞いた事ある声も聞いた事ない声も、たくさんが混ざり合っている。





「何故俺達に協力をする」
「アニキもここにいたら、きっと同じ事をするさ」
「…」
「それに、皆さんが優しい人だと言うのはもう分かっているんで」





そう言ってチャバは私を見て笑った。
その笑顔の意味を理解出来ず、眉を顰めチャバの腕をグッと掴む。





「チャバ…」





自分でも頼りない声が出たと思った。
相手の名前一つ呼ぶのに精一杯で、喉がグッと絞まる。

自然と震える手に力が入って、私はチャバの瞳をじっと見つめた。

一瞬、きょとんと目を丸くしたチャバはまたすぐにフッと笑い
まるで私をあやすようにゆっくりと髪を撫でる。





「行って」
「、でも…!」
「良いから」





「皆さんも」、そう付け加えるとチャバは私をドン、と押して頭を下げる。





、行くぞ!」





ウィルの手が私を引く。
それと同時に武器と武器が交わる激しい音が聞こえた。

走っている最中、思ったよりも冷静な頭は色々な事を考えていた。

聞こえてくる悲鳴。
鳴り響く鉄の音。
焦げ臭い匂い。

その意味を辿ると涙が出そうで強く首を振った。

大丈夫。
モーゼスも、チャバも、シャーリィも。
絶対に、皆大丈夫。

何度も何度も唱えながら、私はただただ前を向き走り続けた。















人気のない場所へ着く。
静寂に包まれた森の中、私の荒い息だけが響いていた。





「大丈夫か?」





優しく背中を摩ってくれるクロエに私は笑みを返し、ゆっくりと深呼吸した。
美味しい空気が体にすうっと入ってくる。





「うん、楽になった。ありがとう!」
「気にしないでくれ」





うんと伸びをする私を見てクロエは微笑んだ後
申し訳なさそうに眉を下げ、私の様子を窺いながら言葉を発した。





「それより、…」
「あ、そうだ」





私はクロエの言葉を遮り声を漏らす。
クロエはピクリと指先を跳ねらせて目を丸くした。





「改めてだけど、って言います」
「あ、ああ…クロエ。クロエ・ヴァレンスだ」
「お互い、会う前に名前だけは聞かされてたみたいだね!」
「そうだな」





「…が少し、人とは違う所があるのも聞いている」





精一杯言葉を選ぶクロエに対し、私は「ああ!」と返事をし会話を続ける。





「ウィルから聞いたんだ」
「ああ。でも、普通の女の子なんだな」
「“普通の女の子じゃない”とでも?」
「ま、まさか」





「愛嬌があって、とても良い子だった」





まだ会って間もない私に対し、クロエはそう言って手を差し伸べた。
私を見つめる金色の瞳に嘘偽りはない。





「私もクロエの事良い子だって知ってた」





そう言って笑い、手を取る。

暖かく、繊細で、でも頼りがいのあるクロエの手。
何だが凄く安心する。











クロエと握手を交わした後、声が聞こえた方へと振り向けば
そこにはむすっとした態度で私を見るセネルの姿があった。





「なに?」
「さっきの山賊が言った通り、あの男が向かっていったのはここで合ってるのか?」
「…なんで私に聞くの?」
「知ってると思って」





そんな超人じゃないよ。
と相手の言葉全てに突っ込んでいたらラチがあかない。





「私は知らないけど、チャバは信用出来る人だよ!ここの地理にも詳しいし!」
「確か、『あの男は水晶の森に向かった』と言っていたな…」
「…まあ、ここまで来たら進むしかないしな」
「そそ!ウィルの言う通り!」





ウィルの言葉に便乗する私を見てセネルは思いっきり顔を歪ませた。

そんなセネルの反応は例え相手が私じゃなくて快く思わないだろう。
むっと眉を顰め私は乱暴に言葉を投げつける。





「何か言いたい事あるわけ?」
「…別にない」
「じゃあその顔やめる!」





ぺしっ、と軽くその肩を叩けば「いて」と小さな声が聞こえた。

何なんだと困惑する表情がおかしくて声を出し笑う。
セネルはそんな私を見て余計に機嫌を悪くした。

それは当たり前だとしても、何とも扱いにくい男だ。

心の中で呟くならタダ。
私はちっちゃな不満を誰にも気付かれないよう内に零し、溜め息を吐いた。















水晶の森へと入った途端、周りの空気が冷たくなる。

木々の隙間から日の光が差し込み、水晶がキラキラと輝いている。
光に透き通る地面、その奥には闇が広がっていた。

走ったら、底が抜けそう…。

心臓がきゅっと小さくなる。
そんな私を余所に、皆は水晶の上を平気で歩いていた。





、早く行くぞ」
「う、うん」





ゆっくり、恐る恐る、最初の一歩。
パキ、と鳴ったのは気のせい、うん、きっと気のせい。

別に高所恐怖症なわけではないけど
いつ落ちるか分からない恐怖に打ち勝てる程私の神経図太くない。


ああ、もう嫌だ。


そんな弱音が心の中を通り過ぎた時
カツカツと、誰かが前から近付いてくる靴音がする。

先程と同じ顰めっ面で私を睨むセネルが、ずんずんとこっちに近付いてきた。





「遅い」
「ご、ごめん。でも何か底が抜けそうで…」
「…はあ?」





私の言葉にセネルは思いっきり溜め息を吐く。

ああ、もう笑うなり呆れるなりしてクダサイ。
これでもこっちは生きるのに必死ナンデス。





「…良いから、行くぞ」





パッと取られた手に、気の抜けた声が漏れた。

「なに?」、そう聞く前に取られた腕をぐいっと引っ張られ
セネルは私の手を掴んだまま、大きな歩幅で移動する。





「ち、ちょっと待って…!」





カツカツと水晶と靴が打ち合う音に恐怖が増した。

体勢を崩し、足がもつれる。
落ちてしまう“もしも”の想像が恐怖心を煽る。





「む、無理無理!無理!」
「何が」
「そんな早く動いたら無理!落ちる!死ぬ!むしろいっそ殺して!!
「…面倒臭いやつだな」
「何を!?」





腹の立つ言い方をされてつい声を荒げる。
もうこんな場所にいれば精神不安定になるのはしょうがない。

セネルの溜め息にもう一度声を上げようとすれば
繋がっていた手がパッと離れた。

ぬくもりが消え、恐怖が募る。
でもそれはたった一瞬。

セネルの手はもう一度私の手を掴むと、今度は指と指を絡めるようにピッタリとくっついた。
俗に言う、“恋人繋ぎ”と言うやつだ。




「これなら落ちる心配もないだろ」
「…」
「落ちたら俺も道連れだ」





そう言ってセネルは私の横に並びゆっくりと歩き出す。
セネルの足に合わせるよう、私の足も自然に動いた。

だけど視線だけはセネルから離す事が出来なかった。





「…何だよ」





そんな私の視線に耐えかね、セネルは歩きながら言葉を発する。

「いや…」と呟いた私にもう恐怖心はない。
むしろそれ以上に気掛かりな事がある。





「セネルは、こう言う事平気で出来る人?」
「…は?」
「いや、こう言う事されたの初めてで」
「……」
「あ、別に嫌な訳じゃないけど、誤解とか生まれそうだなーと」
「―――ッ!」





「最近の男の子は積極的なんだね」と付け加えた途端、
バッと勢いよく手が剥がれた。





「ッお前が遅いとシャーリィが助けられないんだうよ!」





ああ、褐色の肌が真っ赤だ。
これ以上この事に触れたらきっと大変な事になる。

私はからかうのをぐっと、ぐーっと堪えて、先へ行こうとするセネルの横に並んだ。





「ありがと!何か怖くなくなった!」
「…そうかよ」
「何で感謝してるのにそんなふくれっ面なの」
「別に、何でもない」





完全にご機嫌斜め。
事の発端はセネルなのに。





「……」





でも先には行かない。

ちょっと前までは平気で私を置いて行ったのに
セネルはずっと私の横にいてくれる。

「行かないの?」、そう聞いてみたかったけど
聞いたらセネルは離れて行きそうな気がして、グッと言葉を飲み込んだ。





「シャーリィに早く追いつこうね」





とん、と軽くその肩を叩いてみれば
セネルは私を睨む事も、その手を払う事もしなかった。

返事はなかったけど、何となく距離は近付いている気がしてホッとする。





「…本当、変わったやつ」





そう言われても、私にとって嬉しい事に代わりはない。

例えそれがセネルにとっては“当たり前”の優しさでも
この世界に来たばかりの私には、とても温かかった。










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修正:11/12/10