短剣を投げた手が痛む。
包帯の奥が痺れ、火傷をしたみたいに熱い。

物が持てない。
でも、走る事ならまだ出来る。





「…ハァ…」





敵の気配が消える。
何とか撒く事が出来たと察し、皆が止まり呼吸を整えた。

まるで、足の先が取れたみたい。
痛みを超えた先こんな感覚が襲ってくるんだと、私は何故か感心していた。





「モーゼス、この先はどうなっている」
「森の出口じゃ…湖のほとりに通じちょる」





覇気のない声でモーゼスは言う。
その目は虚ろで視点が定まっていない。

沈黙の中、痛いくらいに唇を噛み締め拳を握るモーゼスに私はそっと近付いた。





「…信じなよ」
「…」
「家族なんだよね?」
「…そうじゃ。チャバも子分もギートも、ワイの家族じゃ…」
「家族は、お父さんを裏切ったりしないよ」





大きな背中が、小さく見える。





「お父さんが家族を信じられないでどうするの!」





その背中を、私はこれでもかってくらいに思いっきり叩いてやった。
「ウオッ!?」と驚きの声を上げ、モーゼスは何事かと振り返る。





「皆生きてるよ!私が保証する!」





合わせた手と手を頬に付け、首を傾げて目を閉じた。

典型的な“おやすみのポーズ”を取ってモーゼスを見れば
大きく見開かれた瞳は私をくっきりと映している。





「…夢で、見たんか」
「うん。でも、見てなくて分かるよ」





「絶対、生きてるって分かるんだから」





今度は優しく背中を押して、擦った。
微かに漏れた嗚咽に、私は気付かなかった振りをする。

モーゼスは笑顔を取り戻しはしなかったけど
さっきみたいな、死んだ魚のような眼はしなくなった。





「…もうすぐ森から抜けられる。出発しよう」





私達のやりとりが終わったのを確認し、ウィルは言う。
皆は頷き、もう一度その足を前へと動かした。

否。

正確には動かそうとした、だ。





「ねえ…何か、地面揺れてない?」
「…何が揺れてるんだ…?」





確かに、ノーマの言う通り地面が揺れている。
だがそれはとても自然現象とは思えない。

何度も何度も、ズン、ズンと規則的揺れ、それは次第に大きくなっていった。

ふと視線を下げれば、私の足元には大きな窪みがある。
自然に陥没した訳でないそれは、私達が抜けてきた森の方まで伸びていた。

それがただの穴ならまだマシ。
だけどその形は三本指の、大きな大きな魔物の足にしか見えなかった。





「皆、端へ避けろ!!」





セネルの言葉を合図に私達は道の左右に飛び込むよう駆け出した。
瞬間、左右に分かれた私達の間を何かが高速で通り過ぎる。

その“何か”と言うのは正しく私が予想したものだ。
魔物は私達の姿を確認するとその足を止め、ギョロリと瞳を動かした。





「嘘でしょも〜!もう少しで森から出られるのに!!」





黒く頑丈な鱗を持つ、足が生えたアンコウのような生き物は
今にも泣きだしそうな声を出すノーマに向かい、何とも言えない奇声を発する。

道幅ギリギリの巨体をすり抜けて逃げ出す事はほぼ不可能だ。
相手も私達を逃がす気はこれっぽっちもないらしい。

生きる為には、戦わないと。
私は自らに言い聞かせ、血が滲み出すのも気にせず、ギュッと杖を握った。

でも、そう簡単にはいかない。





「セネル…!」





体が思うように動かない私達を、魔物はいとも容易く吹き飛ばしていく。

悲痛な声を上げるセネルに駆け寄ろうと、私は魔物から目を反らした。
それが自分を更なるピンチに追いこんでいるとも知らずに。





!」





体に影が掛かる。
いつの間にか黒く染まった空を私はゆっくりと仰いだ。

それが魔物の鱗だと言う事に気付くには、そんなに時間は掛からなかった。





「ッく…!」





咄嗟に、私は自らの腰にぶら下がる筒へと手を伸ばす。
慌てて短剣を引き抜き相手の顎を狙い放とうとした瞬間、ピシリと激痛が走る。





「っいた…!」





短剣がカランと音を立て、地面へ落ちる。
手の痛みに耐え切れず膝をつく私に、敵は躊躇せずその牙を向けた。


何とかしなきゃ、何とか…!


そう思っているのに、何にも上手くいかなくて
ブレスを撃とうにも口が震えて動かない。

敵の大きな足が私を踏み潰そうとゆっくり上がる。
もう駄目、と私は恐怖に目を瞑り、体を小さくして死を覚悟した。

瞬間、ふわりと体が宙へ浮く。





「…へ…?」





痛みも、苦しみも感じない。
むしろ何だか心地良い。

何かと思い恐る恐る目を開くと、そこには私を抱え魔物の攻撃を避けるモーゼスの姿があった。





「…モーゼス」
「家族が危ないのに、放っておけるかい!」





ズン!、と大きく地面が揺れて砂が舞う。

もしモーゼスが助けてくれなかったら、あの足が私の体を圧し潰していたんだ。
…考えただけでゾッとする。





「あ、ありがと!」
「ここで待ってるんじゃ!」
「、え」





モーゼスは少し離れた場所に私を降ろすと、すぐさま隊列へと戻って行った。





「待って、私も…!」





「戦える」、そう言いたいのに、伸ばした手がまた痛む。





「ッああ、もう…!」





手の痛みは、腕を伝い肩まで来ていた。

何でこんな時に役に立たないんだよ、と自分自身に悪態をついても
手は治るどころかより一層痛みを増すだけ。

それでも、ウィルやノーマに治してと頼む事は出来なかった。
頼むくらいならモーゼスの言う通りここで大人しくしていた方がまだマシだ。





「…治癒術…」





ふと、ある事を思いついた。

もし私が、私自身の手に治癒のブレスを使ったらどうなるのだろう。

ブレスを使う毎に傷は増える。
だけどその傷を癒す為にまた術をかけるとしたら。

まるで鶏と卵だ、と思いながらもその掌をじっと見つめる。





「やってみる、価値はありそうな…」
?」
「ッへ!?」





突如聞こえた声にハッと肩を跳ねらせれば
目の前には私を心配そうに見つめるセネルの姿があった。





「あ、あれ…敵は…!」
「ああ、何とか倒せたよ」





「ほら、」とセネルが指差す方向には血の海で倒れる魔物がいる。

決して気分が良い物ではなかったけど
皆が助かった事にホッと安堵の息が漏れた。





「…手、痛むのか?」
「痛くない」
「…そう断定されると、余計怪しんだよ」
「本当に大丈夫なの!」





そう言って、私はセネルに向かい手をぐーぱー開いたり握ったりを繰り返した。

あ、駄目だ。
強がったけど、やっぱり痛い。

それでも私は笑顔を絶やさなかった。
人間、何が何でもって気持ちでやれば痛みくらい簡単に騙す事が出来るんだ。





「あ、モーゼス!」





セネルの肩越しに見えた男の名前を声に出し、小走りで近付く。
身を屈め息を吐いていたモーゼスは顔を上げ「んお?」とヤル気のない返事をした。





「さっきは助けてくれてありがと!」
「それはこっちの台詞じゃ」
「?」
の言葉がなきゃ、戦えんかったわ」





モーゼスはそう言うと、いつもみたいに陽気に笑う。





「助かったわ、本当に」

がいなきゃ、駄目じゃった」





こんな、短剣一つ持てない私にモーゼスは何度も感謝の言葉を繰り返す。
私が聞きたいと願った言葉を、私が好きな笑顔で何度も。

疲れた体がモーゼスの言葉で軽くなる。

ぽつぽつと雨が地面に沁みるよう、胸に浮かび上がるこの感情は
きっと“幸せ”と言うものなのだろう、と私は噛み締めるように笑った。









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修正:11/12/11