「はんぶん…せかい…たいりく…?」





セネルが出て行った後、私はすぐにジェイからもらった本へと目を向けていた。
指で文字を追いながら、ゆっくりと分かる単語だけを訳していく。





「…これは、メルネス…」





勉強不足であっても、全てが分からない訳じゃない。

文章の中にはゲーム中耳にした単語が多く使われていた。
“メルネス”や“大沈下”、頭文字が大文字のものは大体分かる。

だが、それだけでこの分厚い本全てを訳すのはいくらなんでも難しい。





「ああ、もう…ジェイーいるー?」





もっと勉強しておくべきだった、と自分自身を呪いながら
私はこの場にいない少年の名前を呼ぶ。

一人っきりの部屋の中、シンとした空気が流れ
ロビーから返事が返ってくる事もない。

だけどこの部屋の外、宿屋内の何処かにジェイがいるのは分かっている。





「ジェイー!」





返事は返って来ない。





「ジェイってばー!!」





もう一度声を張り上げたと同時、扉が私の声以上の大きな音を立て慌しく開いた。





「大人しくしとけと言ったでしょう!どうして言う事を聞かないんですか貴女は!」
「用事があったの!」
「ロビーまで聞こえてましたよ…!もう少し小さな声でお願いします」
「だってジェイ来ないじゃん」
「一回目で既に聞こえてました」
「じゃあ早く来てよ!」
「厄介事に巻き込まれるのは嫌なの―――…」





多分、ジェイは「嫌なので」と繋げたかったのだろう。

だけど、カツカツと靴音を響かせながら私に近付き
伏せた目を上げた瞬間、唇の動きが止まった。

私の顔を見て沈黙を流すジェイに
小さく首を傾げると、今度はその瞳がゆっくりと細まる。





「…良かった」
「何が?」
「いえ…大した事じゃないですけど」
「?」
「…泣けたんだな、って」





ギシ、と木製の椅子が重みで軋む。

本当に大した事じゃない、と言わんばかりの声を発し
ジェイは椅子に座りいつものように足を組んで肘を着く。

そして何事もなかったかのように「何ですか?」と私に疑問をぶつけてくるから
見開いた瞳をパッと離し、“泣いた”とバレた原因を消すように強く目を擦った。





「な、何で分かるの」
「バレたら嫌な理由でも?」
「だ、って…」





「馬鹿にするじゃん」、そう繋げようとしたのに
ジェイの瞳は真剣そのものでつい言葉が詰まる。

ジッと見つめてくる瞳にいつもは「可愛い!」と喜ぶ私も、今はその目で見られると怖い。





「別に、責めたりしませんよ」
「…そ、そっか」
「弱い人間にとって、涙を流すのは大事な事でしょう?」
「んなっ…一言多いよ!」





クスリ、と意地悪く笑う顔が本心か!、と肩を叩く。
結果殴った私の方がその衝撃に声を漏らした。

小さな溜め息と、「本当に馬鹿なんですね」とジェイは肩を竦める。
ああ、確かにジェイの言う通り焦った私が馬鹿だった。





「で、どうかしたんですか?」
「あ、これこれ」





私はとんとん、と自らの膝に乗る本を指差して
ジェイはそのページを覗くよう身を屈める。

リン、と小さくなった鈴の音が静かな部屋に心地良く響いた。





「見ろといわれても、さっぱり分かりませんよ…」
「私もサッパリだから、辞書とかあったら嬉しいなって」
「あったらわざわざさんに頼むわけないじゃないですか」
「…じゃあ、分かった所だけ言う」





む、と頬を膨らませながらとある一点を指差せば、ジェイはまた真剣な瞳で本を見つめた。
ジェイの横顔をこんな近くで見るのは初めてで、ちょっとだけドキドキする。





「この単語が、メルネス」
「……おかしいですね」
「…いや、合ってるよ?」
「そうではなくて」





そう言うとジェイは、パラリとページを捲り
一ページ前のとある単語を指差した。

それは私がこの本をもらって、初めて訳した“破壊する者”と言う単語。





「こちらではわざわざ別の単語を使っている」
「…」
「なのに次のページで再びメルネスを意味する単語を用意しているのは変です」
「…と言う事は?」
「メルネスと、“破壊する者”は別人ですね」





薄々私も勘付いていたけど、ジェイがそれを口にすると信憑性が一気に増す。
そして、何となくそれがしっくり当てはまる単語を私は知っていた。

きっと…十中八九この単語は破壊の少女を指している。





「…やっぱり」
「まさか」





ポツリ、と雨粒程の小さな独り言とジェイの声がピタッと重なる。

間髪入れずに言葉が合わさるなんて確率的にも低いのに
ジェイと私は思ってもいない所で声が合わさった事に二人して驚いた。





「な、なに?」
「いえ、別に…そちらは?」
「い、いや…私も別に」





「変だね」、と笑えばジェイは「そうですね」と再び本へ視線を移す。
まるで二人してこの話題には触れて欲しくないみたい。





「他に分かった所は?」
「ここが、世界が半分」
「…」
「以上!」





そう言ってパタン、と本を閉じると
ジェイの表情は険しくなり、私をじとっとした瞳で見つめた。





「たった二ページの数単語だけで、僕を呼んだんですか?」
「分かったら教えてって言ったじゃん」
「…そうですね」





もう話すのも面倒だ、と言わんばかりにジェイは溜め息を吐くと
屈めていた姿勢を元に戻し、再びベッド近くの椅子へと座る。





「体の具合、どうですか?」
「へ?」
「痛い所とか、あります?」
「痛いっちゃ痛いけど…動かしてないから、良く分からない」





そう言って唯一動かしていた腕をグルグルと回す。
ほんの少し痛いけど、もう悲鳴を上げる程ではなくなっていた。

ただ足や腹部はほとんど動かしていない分、自分でもどうなっているか分からない。
むしろ見るのも怖くてシーツを捲れないでいる始末だ。





「…これから灯台へ入ろうと思っているのですが、行けますか?」





そんな不安も、ジェイの一言でどうでも良くなった。

グルグルと回していた肩をピタリと止めて、
私は自らに掛かるシーツを勢いよく取り払う。

包帯の巻かれている足は少しだけ腫れているように感じた。
温かい布団のぬくもりかと思っていたけど、足自体にも熱が帯びている。

それでもお構いなしに私はベッドから足を下ろし
自らの力だけでその場に立ち上がった。

だけども、足は数秒も経たずにガクリと曲がりその場に崩れてしまう。

座ったままなら何とか動かせていた体も
歩くまでにはまだ回復していないようだ。





「…無理ですね」
「絶対行く!」
「…」





倒れている私の“絶対”なんて説得力の欠片もなかったと思う。

だけどジェイは敢えて深く突っ込まず
私の無茶な行動にもいつも通りの溜め息を零していた。





「肩、貸します」
「へ?」
「下までですけど」





そう言うと、ジェイはベッドを支えに立ち上がろうとする私を
半ば乱暴に引っ張り、腕を自らの首に回す。





「いた!痛い!も、もうちょっと優しく!」
「あー重い重い」
「なっ…そこまでじゃないよ!」





「思ってても言って良い事と悪い事が」と怒鳴る私の横で
ジェイは意地悪い笑みを見せながらも足を動かした。

体を動かしているにも関わらず、さっきみたいな激痛はない。
それ程にジェイの支え方が上手なのか、私は文句を言う口をキュッと閉める。





「あ」
「?」
「ありがとって言い忘れてた」
「…」
「支えてくれて、ありがと!」
「…どういたしまして」





意地悪い訳でもなく、皮肉と言う訳でもなく
ジェイは私に優しい笑顔を見せてくれる。

それがまた嬉しくて「ありがとう」と言えば
今度は「しつこいですよ」と盛大な溜め息がすぐ隣から聞こえた。















!!」





ロビーで皆の姿を見つけ、声を上げようとした時だった。

誰よりも先に私の存在に気付いたのは、モーゼスだ。
大きな声で私を呼んだかと思えば大きな足音を立て駆け寄って来る。

何だか久しく会っていない気がして
その姿を見れた事が嬉しく私も彼の名前を呼んだ。

いや、正確には呼ぼうとした、だった。





「モーゼ―――…」
!心配したんじゃぞ!!」
「う、わっ…!」





ガバリと、大きな体が覆い被さるように私の体を包む。
いやもう、包むと言うよりは抱き締める…いや、絞めるが正しい。

脳が私に危険を知らせているのか、体中がビリビリした。





「痛い!モーゼス痛い!」
「勝手にどっか行きおって!」
「そ、それはごめんだけど…!」





ギュウギュウギリギリ、体を、首を絞める力に声を発するのも困難になる。
気が付けば私を支えてくれていたジェイは逃げるように離れていた。





「もう絶対離さんぞ!」
「や、勘弁!」
「なしてじゃ!」





私の肩にぐいぐい押し付けていた顔をガバリと上げて
唾が飛ぶ勢いでモーゼスは突っ込みを入れる。

何だかこんなやり取りも久しぶり。

アハハと笑う私にモーゼスはきょとんとして
「なんじゃ?」と間抜けな声を発して小首を傾げた。

ああ、モーゼスは相変わらずモーゼスだ。





「そんな心配しなくても、もう何処にも行かないよ」
「…本当か?」
「うん!だからちょっと私の杖持って来て?」





「部屋に忘れちゃった」、と付け加えれば
モーゼスは威勢の良い返事をし階段を一段飛ばしで登って行く。

嫌な顔一つしなかったモーゼスに感謝しながらも
支えのなくなった体でとにかく寄りかかる場所を探した。





「“もう何処にも行かないよ”だって〜」
「…何その言い方」
「別に〜ただいつも勝手に突っ走るのはだからさ?」





「変な期待させない方が良いのにって」、と付け加え
むう、と頬を膨らましそっぽを向くノーマは見て分かる程機嫌が悪かった。





「何でノーマが怒ってるの?」
「いや、俺も憤怒寸前だ」
「ええ!?ウィルが怒るのは困る!」





怒っていると言う事実が本当ならば、その拳がいつ私に落ちるか分からない。

咄嗟に頭を抱えた私に、
ウィルは予想に反して大きな溜め息を吐くだけだった。





「…
「は、はい」
「もう一人で行動するのは禁止だ」
「しないよ!皆と一緒に灯台に行くんだから!」
「いや、目的地とかではなくてだな…」





ウィルは途中まで言葉を発した後に「もう良い」、と頭を抱えた。
後ろではクロエが困ったように笑っていて、より一層私は顔を傾げる。





「自分が死にかけたの覚えてないの?」
「でも死んでないよ?」
「なにその返し!あたしとウィルっちが言いたいのはそこじゃないの〜!」
「まあ、ならそれで良いんじゃないか?」
「だ〜も〜!セネセネまで呑気にならないでよ〜!」





もうどうしようもない、と諦めの笑顔を見せるセネルはいつもと同じ。
パタパタと足を動かすノーマも、それを遠くで見るジェイも変わらない。

大丈夫…もう、いつも通り。





!これでええんか?」
「あ、うん!」





バタバタと騒がしく階段を駆け下りてくるモーゼスに
私は大きな声で返事をし、手を伸ばし杖を受け取った。

グッと力を入れて、決して杖から手を離さないよう立ち上がる。

カタカタと杖が小刻みに震え音が鳴る。
さすがに支えにするには短すぎるかも、なんて思いながら
意外と魔法を撃つ事以外でも役に立つんだな、って感心した。





「無理してついて来なくてもいいんだぞ」
「無理してでも一緒に行きたいの」





きっと私を心配してくれての事だろう、ウィルはしつこい程に体調を気遣ってくれる。
だけどいくら聞かれたって答えは同じ。

頑なな私の意思に、ウィルもノーマも諦めたと言わんばかりに肩を竦めた。





「でもま、が無事で本当に良かったよ!」
「ありがと!」
「今度ブレス代として何か奢ってよね〜」





きっとあんなにボロボロになっても、一日経たず目を覚ます事が出来たのは
私が寝ている間にノーマとウィルが必死にブレスをかけてくれたからだろう。

それは私の憶測でしかないけど、もう一度「ありがとう」と言って宿を出た。










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修正:11/12/12