ぼうっとした視界の中にジェイがいる。

視界の端で、ジェイが力強く苦無を握り締めていた。
私はそれを、朦朧とした意識の中で警戒している。

心臓が五月蝿く鳴って、意識が飛んだ、たった一瞬。
私は、ジェイに馬乗りになってその姿を見つめていた。





「っ…さん…?」
「同じ…」
「…?」
「同じ、陸の民なのに…」





私が、陸の民…?
唇が勝手に動いて、自分では信じられない言葉を紡ぐ。

違う。
私は陸の民じゃない。





「同じなら、私が死んだら一緒に死んでくれるはずだろう…?」





私、そんな事思ってない。
何でこんな、今更どうしようもない事をジェイに言っているのだろう。





「私だけに辛い思いをさせるのか…?」

「また私にだけ、過ちを押し付けるのか…?」

「人類が皆等しく傷つけば、それで良かったはずなのに」





まるでリアルな夢を見ているようだった。
知らない私が勝手に短剣を握り、勝手に口を動かしている。

それが“破壊の少女に乗っ取られている”と言う事は自ずと分かった。
でもそれが分かったとして、私が私の意思で動く事が出来ない。

止めろ、止めろと何度も信号を送っているのに
一度スイッチが入ってしまった破壊の少女を引き剥がす事が出来なかった。





「…メルネスも水の民も…私を裏切った陸の民も…全てのモノに粛清を…」
「…誰ですか、貴女」
「忘れたか…?所詮お前等にとって私はそんな“モノ”だったな…」





「…滅べ」





私の口が私自身を否定し、頭上高く短剣を振りかぶる。
下ろしたら、ジェイの胸に刺さる。

嫌だ。
やだ。

誰か、助けて。





、止めろ!!」





誰かが私の名前を呼んだ。
少女ではない、私の名前を。

振りかぶった手がピタリと止まる。
ぼうっとした視界がハッキリした時、そこら中に痛みが再発した。

それは破壊の少女を押しのけて、私がこの世界に戻ってきた証拠だ。





「ック…!」
「…」
「こ、の!!」





上げた手を勢いよく左へと振り、握り締めていた短剣を遠くへ飛ばした。

凶器さえなければ、乗っ取られても大丈夫。

腰にぶら下げた筒を投げ捨て、近くにある杖さえも蹴り飛ばし
攻撃する術をなくした自らの頭を抱え込み、止めろと脳内に叫び続ける。





「きっつ…!」
「脳でもやられました?」
「そうとも言うけど…!ちょっと、離れて…!」
「むしろ貴女がどいて下さい」





ジェイはいつも通りのジェイだった。
まるで先程の会話、行為、全てをなかった事にしているみたい。

私もそんな風に考えられたら楽なのだけど、そうも言っていられない。
体を取り戻す事は出来たけど、頭の声が消えた訳ではなかった。





「くそ…!対処法くらい教えてよ…!!」





今更そんな事を言っても何にもならないのは理解している。
でも既に頭の隅っこでは一つの回答が出ていた。

腕に短剣を刺した時、頭に響く少女の声が一時的に消えたのだ。
痛みで自分の意識を呼び戻した、と考えるのがきっと正しいのだろう。

自分を傷付ければ声は消える。
でも傷付ける為の武器を持てば彼女が出てくる。

答えは鼬ごっこのように見つからない。
それでも、至極簡単に出来る対処法が一つだけあった。





「ワルター!!」
「…」
「背中、腹、腕、足何処でも良い!どっか思いっきり、再起不能になるまで強く殴って!」
「なっ…」
「今度はちゃんと、骨折るくらい強くしてよ!」





グ、と体に力を入れて、呆けるワルターの元へと近付く。
私を見るワルターの目は動揺の色を浮かべていた。

私を殺しに来たのに傷付ける事を躊躇うなんて、と思いながら
私達は徐々に彼との距離を縮めていく。





「お前・・・」
「言っとくけど殺すのはなし!でも動けないくらい痛めつけちゃって!」
「…何を…」
「大丈夫!動けなくなってもモーゼスがおぶるから!」
「何言うとんじゃ!」
「良いから!早くしてくれないとッ…!?」





声を荒げれば、彼女の意思に打ち勝つ事が出来た。
だけどギリギリと頭を締め付けるような感覚は隙あらば私を乗っ取ろうとしている。

時間がない、それは私が一番良く理解していた。





「早く…!ワルター!!」
「…自ら、死を望むのか…」
「死なないよ…!でも、こうしなきゃワルターが死ぬから…!」
「…何だと…?」
「私はワルターと戦っても勝てっこないけど、コイツはどうか知らないし…!」





こうして会話をしている最中でもお構いなしに
目の前の男を見て「殺せ、殺せ」と少女は命じる。

その念は目に入るもの全てを武器にし襲いかかろうとする程だ。
きっと、自らの爪、牙だって使えるなら何でも使うだろう。

そう思ってしまったのが悪かったのか。
押さえ込んでいた彼女の憎しみが、どっと体の奥底から込み上げてくる。

もう痛みで動かす事も出来ないと思っていた血塗れた腕がヌッと伸び
目の前のワルターの首に絡まっていった。





「うわ、ちょっ…待って…!」
「…」
「じっと見てないで早くしてよ!アンタ仲間の言う事も聞けないわけ!?」
「…仲間…?」
「そうだよ、約束したじゃん!」
「数千年前、メルネスの邪魔をしたお前が俺の仲間だと言うのかっ…!」
「だから、ソイツが今回も邪魔しようとしてるんだよ!」





「だから、アンタは数千年前の恨み篭めて、この腕壊すなり何なりすれば良い!」





「お互いの願いは一致してるじゃん」と続けざまに叫び、
私はワルターの蒼い瞳をじっと見た。

必死に抵抗する私と違い、ワルターはただぼうっと私の姿を見ているだけだった。





「…もう一度問う。お前は破壊の少女か…?」
「ッ私は、だよ…!」
「…」
「でも、アンタの首を絞めようとしてるのは私じゃない…!」





まるで自分に言い聞かせるように、私は自らの中にいる人間を否定する。

ワルターはきっと私の頭が狂ったと思っているだろう。
私だって、こんな行動をされたら正直不快でしかないと思う。

それでも、きっとワルターなら分かってくれるはずだ。





「ッ私の事、殺しに来たんだろ!?」
「…」
「殺されるのは嫌だけど腕の一本や二本、アンタにくれてやる…!」
「……」
「それで私は破壊の少女じゃなくなるの…!そしたらまた、一緒に話したり出来るんだよ…!?」





言葉とは裏腹に、手の力は徐々にと力を増していた。

苦しそうに眉を顰めたワルターを見て、私は何度も繰り返す。
もう、誰も殺させないと。





「言っただろう…お前の仲間になる気はない」
「ッ…させてやる!」
「…」
「私はワルターの仲間だよ!これからもずっと!」
「……」
「絶対に裏切らない!今も信じてる!!」





「だから、早く殴ってよ」、そう付け加え歯を食い縛る。

プチ、と爪の一片が薄い皮に食い込む感触に
ゾクリと体が震え、涙が出そうになった。

このままじゃ私がワルターを殺す。
それは、ワルターが抵抗すれば避けられる物語のはずなのに。





「……無理だ…」





それをワルターが拒絶するなんて、考えてもいなかった。

驚き目を見開く私の手は、その間もギリギリと力を増していく。

だけどワルターは、ただ笑っていた。
私を真っ直ぐ、目を反らさず見つめて。





「なに、言って…」
「味方につく気はない…前も言っただろう」
「っだから、それは…!」
「だが……お前を攻撃する気ももうないんだ…」
「…な…」





ワルターの絞まる喉が、弱々しく声を漏らす。





「殺す気で、きたんだ…だがどうも、お前相手だと上手くいかないな…」
「なに、それ…褒め言葉…?」
「俺の使命はお前を殺す事だった…だが、もう無理だ」





私はこんな彼を見たかった訳じゃない。
こんな泣きそうな、彼の顔を。





「上司に従えない部下は、どうなると思う…?」
「なに…?」
「さすがにお前でも、分かるだろう?」
「やだ…」





何で、力が弱まらないの。
嫌なのに。

嫌で嫌で、仕方がないのに。





「…愛する者の手で殺されるならそれで良い…」
「ッ…!?」





攻撃しろ、と言った私の言葉を無視し
ワルターは私の両手を自らの手で包み込み、ゆっくりと目を閉じた。

まるで殺してくれ、と言っているようだった。





「もうお前に振り回されるのも疲れた…」
「ワル、ター…?」
「この数日間…どれだけ悩んだ事か…どれだけ逃げ出したいと思った事か…」





包まれた手に、ぐっと力が入る。
後押しされるよう、私の手にも今以上の力がかかった。





「は、離して…!」
「…守れるだけで、良いんだ」
「何言って…!」
「俺がお前を…を守ると言う事は―――…」





「…―――もう死ぬしかないと言う事だろう…?」





冷たい言葉とは裏腹に、彼は今まで見た中で一番温かい笑みを浮かべていた。

…やだ。
こんなワルターを、私は見たかった訳じゃない。





「違う、私そんな事一言も…」
「見れば分かる…破壊の少女は俺の血を求めていると」





…―――汚らわしい手で触るな。





一層声が強くなり、頭を直接殴られたよう体が揺れた。





「俺はその渇きからお前を守る事は出来ない…」
「だから、この手を切れって…!」
「二度も同じ事を言わせるな…無理だ」





…―――離せ。その汚らわしい手を離せ。





声が、どんどん強くなる。

視界が眩み出し、ワルターの輪郭しか見えなくなった頃
「あ…」と何重にも重なる自分の声が聞こえた気がした。





「ならばその渇きを潤せば良い」
「…ッツ…ゥ…」
「渇きを潤せば、お前は苦しまなくて済むのだろう…?」
「ハァ…ハァ…!」





荒い呼吸しか出てこない私は、まるで獣のようだった。
ワルターの白い手を汚らわしいと錯覚し、噛み付きたくなる衝動すら覚える。

ワルターは最後の力で私に体を近付ける。
喉に自分の指が埋もれていく感覚に、不安定な意識の中でも涙が出そうになった。

頬を掠る柔らかな髪。
すぐ隣に、ワルターがいる。

ああ、殺すなら今がチャンスだ…。
違う、私はそんな事考えてなんていない。

そう、思っていたのに。




「その渇きを潤せ…破壊の少女」





その時、ワルターが私の名前を呼んでくれれば
きっとまだ意識を保つ事が出来たのに。

ワルターは、敢えて彼女の名前を口にしたんだ。





…―――命令されるのは嫌いだ。

…―――でもその話、乗ってやろう…。





ドクン、と一層強く心臓が鳴る。
視界が白く染まり、世界がぐるりと大きく回った。










Next→

...
修正:11/12/14