「その手を離せ…汚らわしい」
「…」
「安心しろ。お前一人殺す力は充分ある」
「フッ…そうか」
「それは安心した」、と言うとワルターは重ねていた手を離しそのままダラリと地面に垂らす。
「長年待っていた…この時を…」
「……」
ワルターが私の名前を呼んでいる気がした。
震える声で、弱々しく、呼ぶ事すら躊躇っているようだった。
もっとハッキリ、私の事を見て私の名前を呼んでくれれば
この生温い意識から戻る事も出来たかもしれないのに。
「愛しい者に殺されるのはさぞかし良い気分だろう…水の民よ」
私の目の前でワルターは目を閉じてグ、と苦しそうな顔をした。
私はそれを見て、悦に入り興奮しながらも笑っていた。
ワルターが、苦しそう。
ワルターが死んじゃう。
嫌なのに。
嫌なのに、力が弱まらない。
…―――誰か
リン、と鳴る鈴の音。
助けて―――…
音が聞こえたのは頭上からだった。
私は音を辿るよう顔を上げる。
そこにはジェイの姿があった。
突然の彼の登場にワルターの首を絞めていた私の手がパッと離れる。
ジェイは私とワルターの間に割って入ると、その冷たい瞳をこちらに向けた。
「破壊の少女…でしたっけ?」
呆然と座る私を、ジェイは何か汚いモノを見るように見下している。
「実に下らない」
ネットリとした嫌味ったらしい声に体がカアッと熱くなるのを感じた。
「またお前かッ…!」
「僕が話したいのはさんです。彼女、出して下さい」
「ふざけるな…!そんな事誰がするか!」
「…別に、貴女に了承を得る必要もないんですけどね」
「…腕の二本三本、くれてやる…でしたっけ?」
ジェイ、それ一本多い。
なんて意識の奥底で冷静に突っ込む私を置いて
彼女はジェイの言葉に私の想像以上に体を強張らせた。
それもそのはずだ。
ジェイの瞳は、まるで人を殺そうとしてるかのように冷たい。
…でも。
「…―――その腕、僕がもらいます」
私はこの時を待っていた。
自分の意思とは別に体が跳ねる。
少女がジェイから溢れる殺気に対し恐怖を抱いているのが良く分かった。
その一瞬を狙い、ジェイは私の片手を掴むと体を床へと叩きつける。
叩きつけられた半身が痛みから熱を帯び
少しだけ私と破壊の少女の意識が前後した。
それでも彼女はここに止まろうと必死にジェイの殺気から逃げるよう身を捩る。
そんな彼女を見て、ジェイは冷たい瞳のまま口元を歪ませ、笑った。
「ッ…」
破壊の少女の声にならない声が零れたのを合図に
ジェイは自らの片足を床から浮かせ、私の腕に向かって落とす。
細い足が、腕を曲げてはいけない方向に曲げた。
大した力等なく感じる程静かになされたジェイの攻撃は
見た目以上の力で私の骨を砕いた。
腕に走る激痛に、二人の内どちらのものかも分からない悲鳴が私の声から溢れる。
世界がハッキリ色を取り戻した。
久しぶりに自分で呼吸をしたような気分になった。
そこら中体が痛み、熱いと感じる気持ちに涙が出そうになる。
ここにいるのは紛れもない、私だ。
「いった…!」
「もう一本いっときます?」
「良い、今は充分…!次なったらまたよろしく…!」
「ま、こんな事出来るの僕ぐらいでしょうしね」
「そうそう!容赦ないとこがジェイらしいよね…!」
「そう頼んだのはさんでしょう?」
私達の不可解な行動を目の前に、仲間達はただ呆然と目を見開き驚いている。
私はと言えば腕の痛みとは別に精神的にはかなり落ち着いていた。
全身から汗をびっしょりと吹き出しながら、
「あ、骨折るってこんなに痛いものなのか」、と初体験に感動に近い気持ちを抱いた。
そんな事考えてる場合じゃない、と床を這うようにズ…と音を立て
壁にもたれかかり呆けた瞳で私を見るワルターにゆっくりと近付いた。
「ッ…ワルター」
痛みでガラガラになった声で、彼の名前を呼ぶ。
ワルターは私と目が合うと、とても寂しそうに目を細めた。
瞳の中が波のように大きく揺れていて
何か答えを求めるように、私をただじっと見ている。
「…もう、仲間になんかならなくて良い」
「…」
「これは命令」
「アンタはこれからずっと、私の傍にいろ」
ワルターは眉間に皺を寄せ、私を見るその瞳を丸くする。
それでも彼が泣きそうな顔をするよりはずっとマシだと感じた。
「アンタはメルネスの命令に従えなかった…メルネスを裏切ったんだよ」
「…」
「そんな使えない部下、もう行く当てもないでしょ?」
痛みにバランスの取れなくなった体はポス、とワルターの胸に傾いた。
ワルターはそれを受け止める事も拒む事もせずに
ただ自らの胸に寄りかかる私を見るだけだった。
「私は昔の破壊の少女と違う。でも、今この世界での破壊の少女は私だよ」
「…」
「メルネスと同じくらいの力を、“この私”が持ってるの」
「……」
「そんな大層なお方の傍で仕事が出来るなら、不服じゃないよね?」
「つまりアンタを私の御付きにするわけ」、
そう言ってニヤリと笑った私を見てワルターは何を思っただろうか。
肯定も否定もない、ただ互いの呼吸と心臓の音が聞こえる距離。
返事が返ってこない事に複雑な心境を覚えながらも
この沈黙がワルターらしいとも思えた。
「言ってる意味、分かるよね?」
顔を上げ、真っ直ぐとワルターを見る。
彼はほんの少し嗚咽を漏らし、息苦しそうな顔をして目を逸らした。
そうだ。
私は命令に従順なワルターを望んでいるんじゃない。
こうやって、時には人間らしい反応を見せる、本当の彼を望んでいるんだ。
「“守れるだけで良い”って言ったよね?」
「…」
「だったら、ジェイみたいに腕の一本くらい折ってみせてよ」
「……」
「私は、ワルターが生きているだけで救われているんだって、気付いてよ」
片腕でその服をギュッと掴めば、ワルターは逸らしていた瞳を私に合わせた。
「この戦いが終わったら、一緒に旅をしよう」
「…」
「断れないの、分かってるよね?これは命令なんだから」
「…フッ」
「悪い話じゃないでしょ?私がこの寛大な心でアンタを雇ってやろうっていうんだから!」
「お前にメルネスのような事は出来ないだろうに…」
「何それ!」
クスリと一つ笑ったかと思えば
いつものように捻くれた言葉を返すワルターに私は両手を振り上げる。
いや、正確には両腕を振り上げようとしたが
結局どちらの手も上がらず痛みだけが走ったと言った方が正しいだろう。
痛みに悲鳴を上げ歯を食い縛る私にワルターは意地悪く笑っている。
でも、不思議と嫌な気持ちにはならなかった。
「その命令に従うかどうか…それはお前次第だ」
ワルターはそう言うと私の髪を一束取り、嘲るように笑う。
どう言う事、と言った目を向ける私に
ワルターはまたゆっくりと唇を動かし、言葉を続けた。
「この戦いが終わる頃には、お前達が旅する陸がないかもしれないだろう?」
「…それって?」
「大沈下が起きたらそんな約束等無意味だと言う事だ」
ワルターの言葉を一つ一つ噛み締めるように追っていけば
何となく、言いたい事が分かった気がする。
「つまり私が大沈下を止めたら一緒にいてくれるって事…?」
「…メルネスよりお前が上だと言う事を証明出来るだろう?」
「それとも自信がないのか?…破壊の少女」
わざとらしく彼女の名前を呼ぶ。
だけどそれは間違いなく私に向かって放った嫌味だ。
「…出来るよ」
「…」
「絶対、止めてみせる」
「絶対、ワルターと一緒に旅をする」
そう言って強く強く彼を見つめれば
彼は私を真っ直ぐと見つめ、ゆっくりと唇で弧を描いた。
「…なら、今度こそ約束だ」
そう言ってワルターから小指を出したのは、きっと初めてだろう。
私はきょとんとしながらも無意識に彼の方へと手を伸ばす。
触れた小指がキュ、とどちらからとも言わずに絡まり
何度かゆっくりと上下に揺れて、名残惜しそうに離れていく。
微かに残るぬくもりは、私に勇気を与えてくれる。
私の望んでいた未来がまた一歩、近付いた。
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修正:11/12/14