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少しばかり気分が落ち着いた。 溜め息を吐く程の余裕が出来た頃、カタンと音を立て部屋を出た姫が戻ってくる。 「…」 香水に混ざる、埃と錆びた鉄の匂い。 何処に行っていたかと考えるまでもなく、答えは明らかだった。 「と何を?」 「え…?」 平然を装っていた姫の顔が歪む。 それは図星と言っているようなものだ。 ピクリと眉を顰めれば姫は気まずそうに顔を反らし、しばらくの沈黙を流す。 開口一番、答えが出てくるかと思えばそうではない。 「ジェイの欲しいものって、何ですの?」 「…質問を質問で返すのはどうかと思いますが」 「それを彼女に聞いてきましたの」 「…」 なるほど、そう言う事か。 「ああ」と声を漏らし頷く僕をジッと見つめる目の前の少女は 「今度は貴方が答える番」と言いたそうに目を細める。 僕の欲しいもの。 どれだけ考えても答えは一つだった。 彼女の笑顔が欲しい、彼女の声が欲しい、彼女の体が欲しい。 思い出すだけで欲心が出る。 気が付けば僕は彼女以外の者に一切欲情しなくなっていた。 「何なりと申し付けてください。わたくしからお父様に頼んでみますわ」 黙る僕の耳に届く姫の声に、ピクリと指先が動く。 「お父様は凄いのですよ。わたくしが欲しい物全てを下さるの」 「だからジェイも遠慮なく申し付けてください」 彼女の立場ならば当然の考えなのだろう…その笑顔に裏はない。 だが欲しい物全てが手に入る等、そうそうある事ではないのだ。 正に今の僕がそうであるように。 「…貴女」 「え?」 自らの声色に戸惑う。 だがこの気持ちを悟られてはいけない。 の為にも、僕が求めているものがだとバレてはいけないのだ。 「貴女が欲しい」 頬を撫で、もう片方の手で腰を掴む。 ほんの少し力を入れれば、ドレスを纏う体はいとも簡単に動いた。 引きつけ、押し出し、ベッドの上に寝転ぶ彼女に笑みを見せる。 髪の色も顔立ちも何もかもが違うのに、と重ねようと無駄な努力をした。 僕の顔は嘘を吐く為に必死で、何とも滑稽だ。 「もうの事は良いです」 「でも…」 「彼女をこの国から追放します…王にもそのように伝えるつもりです」 「ジェイ…」 彼女は許してくれるだろうか。 こんな選択しか出来なかった、弱い僕を。 「でも王は彼女を処刑すると…」 「それは僕が貴女と結婚しなかったら…と言う約束でしょう?」 「そうですけど…」 「たった一人の村娘に貴重な時間を割かなくとも良いんです」 「処刑よりも追放の方が楽なのですから」、と微笑む僕に姫は納得したのか小さく頷く。 僕は思ってもいないくせに「良い子です」と口にし彼女の体をそっと離した。 「最後の挨拶をしてきます」 ベッドから離れる僕に名残惜しそうな視線が刺さる。 「ジェイ…」 物欲しそうな声を聞き、心の中で溜め息を吐きながら 乱れた彼女の髪をゆっくりと撫で額にキスをした。 「…また夜に」 潤む瞳には僕しか映っていない。 たった数時間前に出会った男にここまで入れ込む事が出来るのはある種才能だ。 僕がどんな人間だったかも知らないくせに。 「あの、ジェイ!」 ドアノブに手を掛けた僕を、今度は力強く制止する。 まだ物足りないのかと振り返れば、姫は目を伏せながらも弱々しく声を漏らした。 「ジェイがあの娘を追放すると決めたのなら、申しますけど…」 「?」 「彼女、わたくしとジェイの結婚に賛成のようですわよ」 その一言は僕を絶望させるには充分だった。 冗談じゃない、そんな事あるはずが。 否定の言葉を口にしかけたと同時、可能性がない訳ではない事に気付く。 僕は充分したじゃないか。 彼女に嫌われるような事を、今までもたくさん。 「ジェイ、どうかしました?」 「、いえ」 「でも顔色が…」 「大丈夫です」 心配する姫に笑みを見せたと同時、ゆっくりと扉を押す。 「その件も含め、話してきます」 相手の返事を聞く前に素早く扉を閉めた。 誰にも聞こえないよう、舌打ちを零しながら。 再び靴音が聞こえる。 あの女が戻って来たのだろうか、そう思い顔を上げれば 見慣れた姿が視界に飛び込んできた。 「鍵を」 「しかし…」 「…」 「し、失礼しました」 鋭い眼光で相手を怯ませ鍵を受け取った少年は 何の迷いもなく一直線に足を動かし、南京錠に手を掛ける。 「ッジェイ…!」 牢の鍵を開ける少年の名を呼ぶ。 辺りは薄暗いが、私がジェイの姿を見間違えるはずがなかった。 「やっと会えた…!」 一日も経っていないのに、何年もこの時を待ちわびていた気分だ。 大して動かない体を引き摺り、ジェイの元へと近付く。 泣かないと決めていたはずなのに、気が付けば瞳には涙の膜が張っていた。 だけど再会を喜ぶ私とは逆に、ジェイは酷く冷たい表情を浮かべている。 鉄格子を開け、触れられる距離にいるにも関わらず笑み一つ見せてくれない。 「…ジェイ、どうしたの…?」 「…何がですか?」 「どうして、そんな顔してるの…?」 恐る恐る言葉を発する私を見てジェイはクスリと笑う。 優しい笑顔じゃない…人を蔑む、嫌な笑顔だ。 「“さん”こそ、随分不安そうで」 何の気なく発せられたジェイの言葉に私は目を見開いた。 「ねえジェイ!二人きりの時は呼び捨てにしてよ!」 「…何ですか、急に」 「ジェイに敬称を付けて呼ばれたくないの!」 「…」 「私はジェイの事ジェイさんって呼ばないのに不公平だよ!ほら早く!」 「…」 「わー何か凄い新鮮!」 「…そうですね」 「私、ジェイにはずっとそうやって呼んでほしいな!」 「…が、それを望むなら」 いつものジェイじゃない。 こんなに近いのに、ジェイがとても遠くにいる。 「お別れを言いに来ました」 その瞳も、声も、まるで氷のように冷たく 嬉しいと軋んでいた心臓が別の意味で痛みを増した。 「お別れって、何…?」 「そのままの意味ですよ」 「わ、分からないよ…」 「良いから、大人しくしてください」 小さな鍵を懐から取り出すと、ジェイは私の手錠を外す。 気遣いも労わりもない…荒々しく乱暴な行為だ。 「ッ痛…!」 「足も」 無理に足を引っ張る手の冷たさに涙が溢れる。 痛い、と言う私の声にもコンクリートに落ちる涙にも気付いていないのだろうか。 ジェイは無表情のまま、淡々と自らの仕事をした後足枷を放り投げた。 全ての拘束が外れた事を確認すると、ジェイは言葉一つ漏らさず背中を向ける。 「ああ、そうだ」 ジェイは何の気なしに言葉を発した。 このまま置いていかれるのだろうかと不安に駆られていた私は次の言葉に期待する。 だけどもジェイが次に発した言葉は、私を絶望に叩き付けるには充分なものだった。 「貴女の望み通り、僕はこの国に住みあの方と結婚します」 一体、何を言っているんだろう。 「何、それ…」 ジェイは首だけを動かし、私を見てクスリと笑う。 凄く嫌な顔だった…初めて出会った時と同じ、私を信用していない顔だ。 「自分の言った事には責任を持ってくださいよ」 「ッ私、そんな事言ってない…!」 私がジェイと姫の結婚に賛成していると言うのなら こうなってまで必死にジェイを追いかけた私は何なんだ。 まるで自分自身を否定されたようで、腹が立つと同時酷く悲しい気持ちになった。 「言ってない、言ってないよ…!」 ジェイは否定の言葉を並べる私に溜め息を吐くと 言い訳は良い、と言わんばかりの表情を浮かべ再び歩き出す。 後を追おうとするも長時間足首を圧迫されていたせいか上手く立ち上がる事が出来ない。 誤解が解けないまま離れたくない、と私は必死に彼の名を呼んだ。 「ッジェイ!!」 何度呼んだ頃だろう。 ジェイは地上へと上がる階段の手前でピタリと止まる。 私は鉄格子に背を預けながら必死に彼の元へと近付いた。 引き摺り、近寄り、手を伸ばせば届く距離に来てもう一度言葉を絞り出す。 「ジェイ、一緒に帰ろうよ…!」 そう言って肩に触れた瞬間、世界は目まぐるしいスピードで動き出す。 手を弾かれたかと思えば体を思いっきり突き飛ばされ 鉄格子に強く頭部を叩きつけられる。 「ッ痛…!」 突然の事に受け身をとる事も出来ず、体はズルズルと地面へ落ちた。 ジェイは倒れる私を無理矢理起こし、強い力で引っ張る。 痛みに耐えながらもうっすらと開けた瞳には、酷く冷たいジェイの顔が映った。 「ん、ぐ…!」 乱暴に重ねられた唇を拒む暇もなく、口内に異物が入り込む。 それが彼の舌だと言う事は、経験のない私でも何となく理解出来た。 いつもの優しいキスとは違う。 私はそれを汚い、と感じてしまった。 相手は大好きなジェイであるはずなのに、まるで彼とは思えなかったのだ。 「ん、ん…!」 上手く息が出来ない。 覆い被さる彼の体を強く叩くも、ジェイはビクともしない。 逃げようとする先には彼の手が先回りしていて ほんの一瞬息を吸う時間を作ったかと思えば、また深く口付けをして。 酸素が足りず、何を考えているかも分からなくなる程意識が朦朧とした時 ジェイは私の体を強く押し出し、コンクリートの壁に叩き付けた。 「ッ…!」 定まらぬ視点を必死に動かし、私はジェイの姿を探る。 薄暗い灯りがともる中、ジェイは荒い息を吐き出す私に笑顔を向けていた。 「さようなら」 つい先程までのジェイとは違う。 笑顔も声も、私が知っているジェイそのものだった。 何処か悲しそうで、それでも私に悟られまいと必死に笑顔を作っている。 …どうしてジェイが泣きそうになっているのだろう。 ジェイに見捨てられて泣きたいのは、私の方なのに。 「ジェ、イ…!」 既に彼の姿は見えない。 「やだ、ジェイ…!」 牢に響く私の声も、この気持ちも、全てが空回りする。 「何でよ…!」 「嫌だよッ…!!」 築き上げてきたものが、一瞬にして崩れてしまった。 絶対に手放したくなかったジェイの気持ちが、とても遠くへ行ってしまった。 私は、この世界で生きる意味さえ失ったんだ。 Next→ 06/01/11 修正:06/10/04 再修正:14/02/02 |