海を渡り辿り着いた地は昨日と何も変わらない。
ただ朝早く気温が低いせいか、前日よりも霧が濃いように感じた。
私は自らの記憶と数メートル先の景色を頼りに歩を進める。

城下町に近付き、大きな門が視界に入る。
だが門番の姿が見当たらない。
不思議に思い小首を傾げたと同時、上空から号砲が聞こえた。





「…花火?」





城下町の方からだ。
昨日の今日だと言うのに、何か催し物をやっているのだろうか。

とことん私は馬鹿にされているみたいだ、と心の内で溜め息を吐きながら
大きな門を潜り抜け慎重に足を動かす。

門番がいないお陰もあり、城下町への侵入はあっさりと成功する。
好都合だと思って良いのか、それとも罠だと思うべきか。
無い頭で必死に考えた所で名案は一つも浮かばない。

…でも、これは明らかにおかしい。

門番だけならともかく、城下町には人っ子一人いない。
昨日は観光客から貴族まで、ありとあらゆる人間がいたはずだ。
生活感を残し忽然と人だけが消えたその空間は、酷く気味が悪かった。





『これより我が国の王子、ジェイの婚約式を行います』





突如流れたアナウンスに目を見開く。
音の出処は城下町を抜けた先にある城からだ。
良く耳を澄ませば住民達の声も聞こえる。
どうやらこの催し物の為に店を閉め、城周辺に集まっているらしい。





『どうか皆様、お静かに』

『これより我が国の王子、ジェイの婚約式を―――…』





機械的に繰り返されるアナウンスを聞き、全身の力が抜けていく。
覚悟していたつもりだが、現実を目の当たりにし体は素直な反応を見せた。

だが悲観している余裕はない。
現実は私の気も知らず刻一刻と時を刻んでいく。





『それでは、港の方へと移動してください』

『船の上での食事を満喫いたしましょう』





船の上、って…。





「こ、こっちじゃん…!」





慌てて草むらに身を隠したと同時、城の方角からぞろぞろと人が溢れ出る。
住民は道の両脇に立ち、ひたすら拍手をし主役を迎えた。
道の中心にいたのは誰でもない、王と、姫と、それからジェイだ。





「ジェイ…」





普段は結んでいる艶やかな髪を下ろし、品のある服を纏うジェイは本当の王子様のようだった。
私の知っているジェイとは違う…普段から綺麗だとは思っていたが、想像を超えている。

って、見とれてる場合じゃない…!

ぶんぶんと首を振り、私は手に持つ短剣を道の中央へと投げつけた。
短剣はジェイの隣を歩く姫の足元を掠め、ドレスの裾をほんの少し切っただけ。
怪我を負った訳でもないのに悲鳴を上げ、ジェイにしがみ付く女をこれでもかと強く睨む。
混乱させる為に投げた短剣ではあるが、いっその事当てておけば良かった。

突然の奇襲に兵は武器を構え、住民はどよめく。
唯一冷静に事の状況を見極めたジェイは、額に汗を浮かべる王へと言葉を掛けた。





「住民が危険です。続きは後日にしましょう」
「し、しかし…!」
「貴方、一国の王でしょう?このまま続けて被害が出たらどう責任を取るつもりですか」





血の繋がっている親子の会話とは考えられない。
やはりジェイの居場所はこの国ではないのだと確信した。

王はジェイの言葉に頷き兵へと指示を出す。
兵が城へ戻ってしばらく、アナウンスは式の中止を知らせた。





『想定外の出来事が発生した為、婚約式を中止いたします』

『住民の皆様は速やかに非難し、落ち着いて身の安全を確保してください』

『繰り返します。想定外の出来事が―――…』





頻りに繰り返されるアナウンスを聞き、住民達は小首を傾げながらも家路に着く。
彼等の視界に入らぬよう、私は更に身を小さくし事の成り行きを見守った。

婚約を止める事は出来たけど、この先何をするか考えていない。
このまま走り出しジェイの手を引いて逃げようか、それとも時期を窺うべきか。

どうしよう、と悩む私の瞳にジェイが映る。
ジェイは曇り空を見上げ重たい溜め息を吐いた。
何処か寂しげな感情をその瞳に宿しながら。





「ジェイ、どうしました?」
「あ、いえ…何でもないです」





さも当たり前のように、女の手がジェイの腕へと絡みつく。





「…余り外にいてはお体に障ります。先に戻っていてください」
「あら、どうして?ジェイも一緒に戻りましょう?」





甘ったるい声を出し、その身をジェイの体に摺り寄せる。
嫉妬の念に駆られた私は怒りのままにもう一本短剣を投げつけた。
先程まではこの先どうするかと冷静な判断をしようと懸命であったはずなのに。





「キャッ!」





姫は自らが狙われていると分かった途端、
顔を青ざめ「先に戻っていますね」と言い、逃げるように城へと戻って行く。
私は「ざまあみろ」と心の内で呟き、誰にもばれないよう舌を出した。





「…」





一人になったジェイはその場に屈み、地面に突き刺さる短剣を拾う。
私が今さっき投げた短剣だ。
ジェイはそれを見て驚き目を見開いたかと思えば、これでもかと言う程眉を顰めた。





「ック…!」

「ハ、ハハ…アハハ!」





かと思えば突然肩を揺らし大笑いする。
長い間共にいた私ですら聞いた事のない大爆笑だ。

辺りにいる兵の目も気にせずジェイはひたすら笑い続ける。
普段はあれ程他人の視線を気にするのに。





「…ご乱心?」
!」





無意識に零れた私の声に被せるよう、ジェイは私の名を叫ぶ。

最後に会ったジェイとは違う。
いつもと同じ、優しくて心強い、温かいジェイの声。





「今夜、城の二階…一番奥の部屋で待っています!」





場違いなジェイの台詞に私は動揺を隠せずにいた。
これは夢なのだろうか…そう思い頬を抓れば痛みが現実だと教えてくれる。





「公言した事をお忘れなく!兵はウジャウジャいますよ!」

「僕を迎えに来てくれたんでしょう!?」





久しぶりに見た彼の挑発的な笑み。
私を信じているからこそ発した彼の言葉を、私も信じようと頷いた。





「ッ勿論だよ…!」





飛び出したい衝動を抑え、声を押し殺し返事をする。
聞こえなくとも、気持ちだけは伝われば良いと。





「あんなに酷い事をしたのに…それでも来てくれるなんて…」

「こんな僕を許してくれるのは、愛してくれるのは!
 世界中何処を探しても貴女だけです!」

「だから必ず…必ず来てくださいね!」





嗚咽を呑み込み、何度も何度も頷いた。

ジェイは一息吐くと、真っ直ぐに前を向き、城の中へと姿を消していく。
ジェイが乱心したのではとざわつく兵はすぐさま王へと出来事を伝えた。

ジェイの言う通り大変な道のりになりそうだ。
わざとややこしくした彼を責めるべきなのだろうけど、最早どうでも良い。

ジェイが暴れて良いと言ったなら、私はその言葉に従うだけ。

今はただ、頭の中で何度も彼の言葉を繰り返し
その時が来るのをひたすら待った。










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06/01/18
修正:06/10/05
再修正:14/02/02